今回は高松市御厩町にある重要文化財、小比賀家住宅にお邪魔しましたのでその時のレポートをブログにしたいと思います。
●小比賀邸略歴
この小比賀邸、江戸時代の初期に建てられすでに400年以上の
歳月を経ており、耐震工事と白アリ被害のために2年前に
修復工事をしたそうです。
この小比賀家は甲斐武田氏の子孫にあたり、
戦国時代には讃岐国室山城主であり、
江戸時代には大庄屋などの役をつとめていたそうです。
●外観
小比賀家住宅の外観で最も特長的なのは
長大な長屋門です。この長屋門は約30tの茅が使われていて
長さ36mもあり、重文指定の長屋門としては
日本最大級のものです。
この長屋門は下の写真のように東半分の
内部は馬舎と牛舎になっていました。
長屋門をくぐると広い表庭を隔てて主屋が建っています。
四方の庇と棟上の煙出しが本瓦ぶきになっています。
●広庭
中に入ると広庭と言われる25坪の土間があります。
当時一般来訪者はこの土間部分から上にはあがれませんでした。
この広庭を見上げると約400年前の梁組みが今なお
そのままの姿で残っています。
●勘定場
広庭から一段上がった板敷の間は勘定場と言われる
ところで、大庄屋をしていた時に受付事務所として
使われていました。
●小玄関の間、大玄関の間
勘定場から一段高いところに畳敷の小玄関の間
があり、その隣に大玄関の間が続きます。
小玄関は小比賀家と同格の来訪者用に
大玄関は高貴な来訪者のためにのみもちいられた
部屋で大玄関は入口の作りも矢印のように
差別化されています。
大玄関奥には仏間と神の間あり、仏具類も昔のままだそうです。
仏間は4.5畳の独立した部屋で、他の部屋よりも
一段高くなっています。まるでお寺の内陣のようで
一般民家の仏壇としては大変珍しいようです。
●座敷 下の間
大玄関から入ってきた高貴な人をもてなす場でした。
1間間隔で立っている柱は栂でできているそうです。
当然当時のままではないですが、座敷の間の畳縁は
大紋で、他と区別されていました。
●座敷 上の間
藩主とその親族が来訪したときだけに使った
最もこの家で最も格式の高い部屋です。
藩主の場合は入口も大玄関ではなく庭園から
下の間を通って上がってくるようになっていました。
現在はこの部屋のみ壁は和紙にて仕上げられていました。
床の間の釘隠し。
床框は高級木材、黒柿であるようにみえる。
襖の引手は紅葉の形。
透かし欄間もセンスがいいと思いました。
●その他
各部屋には下の写真のような行灯があり、たぶん朱塗りの
遠州行灯であると思われます。
行灯の中。
居間には和ダンスや袴が置いてあり、貴重な柱時計も
吊るされていました。
この柱時計は県下最古の舶来柱時計で明治11年に購入しされた
米国イングラハム社製だそうです。
庭は入れませんでしたが御厩焼きの元祖彦四郎
の作である手洗い鉢がありました。
また庭園にはまるでツリーハウスのような亭があり、
茶室としてなど使われていました。
一本のモロダの木でできており、大変珍しいそうです。
小比賀家住宅は第3日曜日10:00~16:00しか一般に
公開されていませんので、ご注意くださいね。
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