去る11/3(土)に新居浜市にある重要文化財、「旧広瀬家住宅」を見学してきました。
新居浜と言えば別子銅山が有名ですね。
日本三大財閥の一つ住友家の発展にとってもっとも大きな原動力となったのがこの別子銅山ですがどうやら銅山の経営も一筋縄ではいかず、たびたび危機にみまわれたようです。
江戸時代の終わりから明治にかけて銅山最大の危機が訪れます。
銅採掘コストが上がっていく中で政情不安定な幕府からの銅買い取り価格は下落し、別子銅山は不採算として休山も検討され始めるようになりました。
さらに明治維新後、明治新政府はこの銅山を接収しようとしましたが当時住友の総理人(経営最高責任者のようなもの)がそれを説得して阻止しました。
その時の総代理人だった人物、そしてその後徹底した合理化、近代化(鉱山鉄道など)、西洋の技術などを取り入れて見事業績をV字回復させた人物、それがこの旧広瀬家住宅の主、広瀬宰平だったようです。
●明治時代の日本建築
旧広瀬邸は伝統的な日本建築ですが、よく見ると江戸時代に建てられた邸宅とは違い明治の近代化、西洋化がところどころにとりいれられています。
まずは日本建築的なところをご覧ください。
明治10年建築、明治20年に現在地に移築された母屋の玄関です。
母屋に有った網代戸です。
台所です。
明治22年に建築された新座敷15畳敷の間です。
欄間のデザインがモダンな印象でした。
新座敷の釘隠しです。
新座敷にある茶室です。
かなり傷んでいる坊主ふすまはいつの物でしょうか?
茶室と言えばもう一つ、庭には明治21年建築の「指月庵」がありました。
そして和家具も当然年季の入ってそうなものがありました。
アンティーク水屋です。
家具に入るのかどうか分かりませんが、アンティークな金庫もありました。
当時どのくらいの財産が入っていたのでしょうか?生唾ごっくんものです。
「東京大蔵金庫本店」のエンブレムがなかなかいけてます。
●日本建築にハイテク技術
以上のように旧広瀬邸は伝統的な日本建築で構成されていますが、それだけではありません。
明治らしく西洋の技術や装飾が随所に見られます。
母屋には特に当時の高級新建材である板ガラスを意識的に多用しているように感じます。
欄間にわざわざガラスを使っています。
長押上部にもこの通り。
おまけに床の間の側面にもガラスを入れる入念さ。
当時板ガラスはほとんどが輸入品であり、日本での板ガラス生産は大きく立ち遅れていたようです。
また外部から見える窓格子もロートアイアンを思わせる意匠です。
ふすまの引手もなんか洋風。
そして驚くことに、和室にマントルピースがありました!
これは暖炉というよりマントルピースです!漆喰で固めてはいますが、ふすまや畳がすぐそばにあったりで、防火的にOKなのでしょうか?
新座敷の陶器製小便器もまた洋風のデザイン。
なんと左わきに「五郎介」の銘が入っています。
きっと名のある陶芸家がつくったのでしょう。
外に目を移すと、日本式の庭園にも欧米の庭園につかわれる芝生を入れているとか。
また敷地の塀には当時のままのレンガ塀が残っています。
●見晴らしのいい2F望煙楼
母屋2階にある望煙楼は広瀬宰平が住友工場や蒸気船の「煙」や新居浜の街並みを眺めた展望の間です。
手すりのデザインも和風ではありません。
望煙楼に上る階段もどこか西洋風です。
望煙楼にはなんとイギリス、タイフォード社製の洋式便座がありました。
腰掛式の便座自体が明治時代になって初めて入ってきた大変レアなものだったはずで、慣れない凡人が座ったら出るものも出なかったのではないでしょうか。
旧広瀬家住宅は当主の広瀬宰平さんの世界観が見え隠れするようで面白かったです。
ついでに言うと上の写真の広瀬歴史記念館の建物も現代的でクールなものなのでついでにお奨めですよ。
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